まだまだ人間味100パーセント
どこかに属しとかんと
死ぬんかおまえは ーーっ 。
素直に生きろよお前……って話
当方、人の好きな○○的なものににあんまり興味がない。
顕著に興味がないのが音楽や絵や本などの芸術といった類。
感性は自分だけのものなので、特に共感もしないし簡単にされたくもないものである。
○○というグループの△△というタイトルはおススメ、と具体的にされると尚更その○○に対する興味がなくなる。
人にそういったおススメを聞いた後にハマった試しがない。そういった自分の感性でしか探し当てられないいわば『感性の当たり』を引き当てられるのは自分だけである。その自分の中でしか分からない『当たり』が他人に用意されてしまっている状況がそもそも面白くない。
そして、なんといっても"おススメ"にはかなりの個人差がある。
当方時々ハードルを上げすぎて落胆の落とし穴にハマったようにガッカリしてしばらくその穴から出てこれなくなるので、人のおススメは大抵3秒で忘れるよう心掛けている。
聞いてもいないのにおススメを言いたがる人はただ聞いて欲しいだけなので当方一通り聞き入れる、が、ただの一片も頭に残らないので次あった時にその話をされても申し訳ないがついていけない。
感性が似てるであろう人のおススメも油断できない。当方の経験上そういう人ほど逆にガッカリの穴は深いのだ。
(ここで注意して欲しいのはそのガッカリはその人に対するガッカリではないということですので、これまで色々おススメしてくれてきた友人達はどうか友達をやめないでいただきたい。)
好きと思うものには大体共感がなくとも自信を持つし、人に言われなくても分かっているし、自分に「大丈夫大丈夫、これは素晴らしいよ。合ってるよ。」と言い聞かせる必要もない。
自分は自分の感性を超える感動には出会えないと思っている。
共感には感動を超える気持ち良さがない。
わかりやすく例えると
情熱度 : ほっこり度
感動 10 : 0
共感 4 : 6
といった感じです。
余計分からなくなったのは当方も理解している。
他者の余計な前置きや期待を背負った状態で嗜むスタート地点がまず当方の中ではナンセンス。
当方は、当方だけの聖域で浸りたい派なのだ。
そしてその聖域が局地的に狭い(しかしそれが系統関係なくそこかしこに点在している)派でもあるのだ。
感性の生きる世界を広げるためにおススメを受け入れる度量を持てるまで、当方、まだまだ。
これに懲りずに皆様これからもたくさん当方におススメしてください。
当方の並べるこの言葉も共感を誘うためではなく単なる頭の整理である。
これも、うんこが文章を書いてると思っておいてください。
あでゆ
進化する前に戻って何もかもに感動しよう
どこをどうとっても
大人ってサイコーだと思うんですけどね。
当方だけ?
子どもって天才!と賞賛することも、その素晴らしさに気づいたのも大人になったから。
子どものうちはその発想の特別さや、独特の感性の鋭さに気づけない。
子どもに戻りたいと本気で思う大人よ、その甘ったれた感性で戻りたいと思ううちは、戻ったところで無駄な時間過ごすだけだと気づいたほうが良いと思う。
今の自分にしかない感性を楽しめないでどうしろというのでしょうか。
何もかもに感動したいなんて傲慢。
こういった無自覚な他力本願タイプが1番大変になりそうです。
大人になっても何でも感動できるし、無邪気に楽しめる、勝手にそうできなくしてるのは子どもから脱しきれてない自分じゃないのか?
私は子どもができたら
「あなたは天才だ。そして
大人はサイコーで素晴らしい!」
と教育すると決めている。
子どもは守られ、ルールのある中でも葛藤や発想し続ける。
大人はそれなりのルールはもちろんあるけど、人生の自由の中に責任がついてくる。もちろんスケールは違えど葛藤は続く。
子どもは人の目を気にしないし、それがありのままで良い、という話はそうだ。
ところが、大人も全員そうだとなかなかドン引きな世間になる。
子どもには社会的責任もない。そのかわりある程度の自由しか選択できない。それは守られるはずの存在だから。
社会的責任なしな子どもが社会の目を気にするのも無理な話。次元がちがうのだ。
大人には社会的責任がある。そのかわり自由に仕事を選べたりお金を遣えたり産み出したりできる。それは守る側であるべき存在だから。
社会的責任のある大人が社会の目をある程度気にするのはモラルある証。気にしすぎなのは飜弄されてる証。
子どもはいいなぁと過去に思いを馳せているうちは、
半分だめな大人
もしくは
大人になりきれてない子ども
なんでしょうねぇ。
大人は大人の旨み、しっかり味わうべき。
賛否両論は承知の上で。
寝ぼけながら書いた文章、反面教師のとりとめのない文章。
どろん
いよいよ夏のせいにできなくなってきた
散々夏を言い訳にしてきたらそれも昨日から終わりである。
暑すぎた夏が終わる
音も立てずに
そんなに書きたいのならポエマーになってみては!
だれかに認めてほしいだけの
いいね欲求むき出し
端的でいてシュールでいて
ちょっと大袈裟なぐらいの表現がそんなに面白いと思っているのか…
あまりにも多すぎる表現!
当方最近仕事はいいかんじである。
ただ長いお休みが少しほしい。
こんな時間にこんな内容が久しぶりの更新だと、いつの間にかひっそり読んでくれた人に病んでると思われそうですみっこのほうで震えている。
目まぐるし過ぎて目がタピオカになってしまいそう
timing
ふと
人生はタイミングだと思う経験を何度かした
なんてバッドタイミングで言われたことだ
記憶から消したいナァということが
ある日思い返すと
あのバッドタイミングはかなりグッドタイミングだなと
全く逆の 意味合いに似た趣きが感じられたりするな、と
思った。
きっとその趣きなんて自分にしか分からないけれど。
どろん