あっ、それ私のです。

言葉ははかない

本を読んだ感想 重松清 エイジ

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気ままに書く読書感想文で自分の為の忘備録

 

当方、本を読んだ。

重松清さん著の『エイジ』という本。

 

クラスメイトが通り魔事件を起こしたことにより、社会の目や自身の葛藤に翻弄される主人公エイジ。

 

大人が起こすとただのニュースで終わりそうなものが、容疑者となると大人たちは騒ぎ立てる。

騒ぎ立てることの根本には、子どもが起こしてしまった事件は自分たちが起こさせてしまったのとほぼ同じなのではと無意識に感じるからではないのだろうか。

今を生きる子どもたちの"今"を作ったのは自分たちなのだから。

 

エイジは、通り魔になってしまったクラスメイトのタカやんの気持ちにフォーカスするあまり自分もいつ通り魔になってもおかしくないと自分を見失い出す。

 

ばくはいつも思う。「キレる」って言葉、オトナが考えている意味は違うんじゃないか。
我慢とか辛抱とかカンジョウを抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手のつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか。

この家族の息子で、この姉の弟で、この学校の生徒で、この街に住んでいて、そういった当たり前の"つながり"のすべてから"キレたい"のだ。

 

こうして少しずつタカやんの気持ちを理解していくなかで、エイジは少しずつタカやんと自分は同じ中学生だが違う人間だということを痛感していく。

 

物語の最後では、主人公のエイジがクラスメイトの相沢への好意に気付いていき、すべての"つながり"が心地よいものとなっている。

「好き」で結ばれたつながりは気持ちいいな、と思う。人間はつながりを切れないんだったら、チューブはすべて「好き」がいい

 

「好き」は善意とも悪意とも違って、正しいも間違ってるもカッコいいも悪いも関係なくて、ただこんなに気持ちがいい。

 

クラスメイトのツカちゃんは、タカやんが教室に帰って来た日は正面切ってタカやんに思いを伝える。

「痛えんだよ、殴られたらよ、殴られる理由がなかったら、もっと痛えんだよ。」と被害者達の思いを叫んだ。

 

通り魔の事件は自分には関係ないと、終始冷静を装ったクラスメイトの秀才タモツくん。

通り魔の事件後被害者のことを思いつめ精神的に弱っていたクラスのお調子者ツカちゃん。

そして加害者の目線に立って世の中をみたエイジ。

 

物語の最後になればわかる。

最後大きな成長を見せたのはエイジと、ツカちゃんだ。自分には関係ないと終始冷静であったタモツくんは始めは主要な発言をする存在だった。だが最後には物凄く目立たない存在となっていた。

 

相手の視線になって相手を見る、それを通して成長があり、つながりに対して希望がでてくる。

そんなことを気付かせてくれる一冊であった。