あっ、それ私のです。

言葉ははかない

進化する前に戻って何もかもに感動しよう

どこをどうとっても

大人ってサイコーだと思うんですけどね。

 

当方だけ?

 

子どもって天才!と賞賛することも、その素晴らしさに気づいたのも大人になったから。

子どものうちはその発想の特別さや、独特の感性の鋭さに気づけない。

 

子どもに戻りたいと本気で思う大人よ、その甘ったれた感性で戻りたいと思ううちは、戻ったところで無駄な時間過ごすだけだと気づいたほうが良いと思う。

今の自分にしかない感性を楽しめないでどうしろというのでしょうか。

何もかもに感動したいなんて傲慢。

こういった無自覚な他力本願タイプが1番大変になりそうです。

大人になっても何でも感動できるし、無邪気に楽しめる、勝手にそうできなくしてるのは子どもから脱しきれてない自分じゃないのか?

 

 

私は子どもができたら

「あなたは天才だ。そして

大人はサイコーで素晴らしい!」

と教育すると決めている。

 

子どもは守られ、ルールのある中でも葛藤や発想し続ける。

大人はそれなりのルールはもちろんあるけど、人生の自由の中に責任がついてくる。もちろんスケールは違えど葛藤は続く。

 

子どもは人の目を気にしないし、それがありのままで良い、という話はそうだ。

ところが、大人も全員そうだとなかなかドン引きな世間になる。

子どもには社会的責任もない。そのかわりある程度の自由しか選択できない。それは守られるはずの存在だから。

社会的責任なしな子どもが社会の目を気にするのも無理な話。次元がちがうのだ。

 

大人には社会的責任がある。そのかわり自由に仕事を選べたりお金を遣えたり産み出したりできる。それは守る側であるべき存在だから。

社会的責任のある大人が社会の目をある程度気にするのはモラルある証。気にしすぎなのは飜弄されてる証。

 

子どもはいいなぁと過去に思いを馳せているうちは、

半分だめな大人

もしくは

大人になりきれてない子ども

なんでしょうねぇ。

大人は大人の旨み、しっかり味わうべき。 

 

賛否両論は承知の上で。

寝ぼけながら書いた文章、反面教師のとりとめのない文章。

どろん